コラム

  

ナラティブセラピーnarrative therapy(物語療法)と村上春樹の『騎士団長殺し』  2017/9/21 記

ナラティブセラピーは物語療法と訳されていて、社会構成主義という考え方がその背景になっています。世界(社会)は客観的事実によって成り立っているという科学的な立場が近代合理主義以来ずっと支配的でした。社会構成主義は、私たちは自身のもつ認識の枠組みや知識を使って主観的に意味を構成し、世界(社会)を創り上げているという立場をとり、客観的世界観に一石を投じます。そしてこの社会構成主義の立場に則り、患者さんの語る物語を通して援助を行うのがナラティブセラピーです。ナラティブセラピーの対極にあるのがEBM(evident based approach)であり、昨今の医学はEBM一辺倒となっています。つまりナラティブセラピーはEBMに対するものとして台頭してきたのですが、再びまたEBMが巻き返しを図っているということになります。学問の潮流はこういった巻き返し巻き戻しを繰り返しながら、進歩していくようです。

私は自分自身の治療を振り返ってみると、もともとナラティブセラピーを意図していたわけではないのですが、結果的にナラティブセラピーをとても大事にしてきたように思います。

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ものごとを認識するひとつの方法として「物語」はあるようです。土居健郎さんは『方法としての面接』(1977)の中で「ストーリ(story)を読むように患者の話を聴かなければならない」と述べているが、これは患者の言説を読者のようにたどるという意味を越えていて、積極的な「読み」の過程を含んでいます。ストーリーを読むとは、「語る者もそれを記述する者も、自らのストーリーラインに沿って語ってしまうという重要な事実への注意の喚起を含んでいる」とアーサー・クラインマンの翻訳者である江口重幸さんは言います。

「物語としての精神療法」について私は何度か発表してきたのですが、ここではその発表を振り返りつつ、村上春樹さんの『騎士団長殺し』に触発されたいくつかを取り上げてみようと思います。

 まず『騎士団長殺し』を取り上げてみましょう。ここではほんの僅かのあらすじを提示するに留めます。まだ読まれていない皆さんの楽しみを奪わない程度に…。

語り手の「私」は無名の肖像画画家。肖像画を描いて生計を立てていた「私」は妻に離婚を言い渡され、世間から切り離される格好で北海道と東北を長らくドライブした後、友人の父親の雨田具彦(あまだともひこ)という画家がかつて住んでいた山の上の家で暮らし始める。屋根裏から雨田画伯の公にされていない絵が見つかる。まさにモーツアルトのオペラ『ドン・ジョヴァンニ』の一光景を日本風に描いた『騎士団長殺し』です。もう肖像画は描かないと決めた「私」に(めん)(しき)という謎の男から破格の額で肖像画の依頼が飛び込んでくる。免色は谷を隔てた豪邸に住み、ジャガーを何台も所有している謎の人物ですが、「私」は肖像画を引き受け、免色と少しづつ親しくなっていきます。『騎士団長殺し』に籠められた雨田画伯の思いが徐々に明らかになっていく。ナチスのオーストリア併合と日本軍による南京大虐殺という西洋と東洋でほぼ同時期に起きた戦争が、当時オーストリアに留学していた雨田画伯の私的なことと結びついていたことが分かっていきます。

深夜鈴の音が「私」の耳に届いてくるようになります。鈴の音がする方を辿っていくと、近隣の雑木林の石の下に掘られた石室みたいな穴に行きつきます。免色氏の力を借りてこの穴を掘り起こし、そこにあった鈴を「私」は家に持ち帰ります。それから雨田画伯の『騎士団長殺し』の騎士団長の姿をしたイデアが、「私」と関わりを持つようになります。

免色の肖像画が完成した後、免色氏は「秋川まりえ」の肖像画を描いて欲しいと「私」に依頼してきます。13歳の美少女秋川まりえは「私」の絵画教室の生徒だったので、彼女を絵のモデルにすることは左程難しくはありませんでした。

かくして登場人物は出そろい、「私」、免色、秋川まりえ、そして騎士団長の姿をしたイデアが織りなす物語が展開していきます。

プラトンの言う「イデア」は、リンゴなら「理想のリンゴ」のようなものがあって、それがプロトタイプ(原型)になって、これはリンゴかそうじゃないかを判断する理念型なのです。この「イデア」からメタファーが次々と駆使されて、私たちは象徴の世界に住まうことになるわけです。いやいや私たちは象徴の世界に生きているので、メタファーを駆使し、その大元に原型としての「イデア」を想定しているのです。

 それにしてもイデアとメタファーの提示はこの『騎士団長殺し』という物語に深みと奥行きを作り出しています。飛鳥時代の格好をした騎士団長が「私」に呼びかけるのに「諸君は…」というのはとても見事です。元々のオペラ『ドン・ジョバンニ』では、ドンナ・アンナの父である騎士団長が、娘を救おうとしてドン・ジョバンニに殺されて石像となり、ドン・ジョバンニに悔い改めるよう迫るわけですから、村上さんの『騎士団長殺し』は『ドン・ジョバンニ』を原本として、つまりは本歌取りのように成立しています。まさにここにメタファーの世界があるわけです。いまここにいる私たちは過去からの連綿と続くメタファーの連続の中に生きています。ロラン・バルトは、だからテクストが「引用の織物」だと言ったわけです。私たちはソシュールやラカンのいうシニフィアン/シニフィエの連鎖の中に生きていて、過去の偉人や芸術、芸能、文芸そしてファッションや料理といった歴史そのものが現在の諸相にメタファーとして顔を覗かせ、繋がっています。私たちは歴史のあれこれとメタファーを通して繋がっているわけです。

オペラを中心にした音楽、外国製の高級車、スコッチウイスキー、そしてファッションと、『騎士団長殺し』で描かれる村上さんの世界はhigh societyを感じさせます。村上さんはしかしこのhigh societyな世界を描こうとしたのではなく、メタファーの持つ意味を捉えようとしたのでしょう。しかしやはりこのハイソな背景は、村上ワールド独特な世界にフィルターを掛けています。このハイソな雰囲気はアメリカ社会そのものを象徴していて、これについていけるかどうかがハルキストになれるかどうかの分かれ目のようです。

『海辺のカフカ』のモチーフとして使われたのはoedipus complexでした。そしてこの『騎士団長殺し』のモチーフになったのは『ドン・ジョバンニ』という「大いなる物語」です。リタールは「大いなる物語」の終焉をポスト・モダンの特徴として掲げていますが、村上さんの小説が21世紀の小説の特質を代表しているかどうかは論議のあるところです。ポスト・モダンという後期資本主義に突入した社会で文学がたどらなければならない道はどういったものか?                                                                                                       Atacched File 

高橋源一郎さんは「日本の小説」と「ニッポンの小説」とを対比させて、文学のたどらざるをえなかった道を論じています。「ニッポンの小説」は読者参加型で自由で壊れている、と。「青春」といった書くべき大きな物語はなく、規範もなく、抑圧する父親もいないし、反抗すべき制度もない。その点では村上さんの小説も「ニッポンの小説」なのですが、村上さんが「大いなる物語」を取り上げて、そのメタファーを書き連ねるのは、おそらく村上さんの「求道的な」姿勢があるからなのでしょう。『騎士団長殺し』には先に『ドン・ジョバンニ』の物語があり、作者の村上さんは原型から新たな物語を次々と絡ませながら紡ぎ出していきます。メタファーが縦横にかけ廻り、過去から現在へ、西洋と東洋とを繋ぎながら、夢と現実の隙間を埋め、虚構や空想、そして想像と創造を織りなして、幾多の芸術を盛り込みながら、一つの新しい物語生み出していきます。

橋本陽介さんは『物語論 基礎と応用』(講談社 2017)の中で、「現実は物語的に把握され、物語は把握された現実のように表象される」「私たちの現実認識の多くが、物語の仕方で把握されている」と述べています。

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 もう一度ナラティブセラピーに戻ってみましょう。クライエント自身の不幸で問題の浸透したストーリーを、それに代わる異なったストーリーに再構築する作業を通してクライエントの苦痛を緩和する心理療法が、ナラティブセラピーなのです。この観点からもう一度『騎士団長殺し』を見直してみましょう。私は妻との結婚生活をいったん解消し、正式な離婚届にも署名捺印するが、9か月余りの別離の期間をおいて、「元の鞘に収まった」。この9か月間の始まりは、家を出て古い車を繰って新潟、山形、秋田、そして青森から北海道に渡り、一般道を当てもなくのんびりと進めていた。いくつかの体験があり、その後東京に戻り、学生時代からの友人(雨田政彦)の父が使っていた小田原の山の上に建つ空き家を借りて住むことになる。その家の屋根裏に『騎士団長殺し』の絵を見つけることによって、物語は大きく展開する。

そうこの物語は、「私」が離婚の失意から回復するための過程を物語っているのだ。つまり「私」は離婚によって失意どころではなく、混乱・困惑し、一種の精神病状態に陥っていたのだ。そしてそこから回復して、本当に必要だった妻を見出し、取り戻すためには9か月の月日と、この物語に書かれたような体験を生きることが必要だった、ということになるでしょう。夢か現実か、過去と現在、空想と今、錯綜して混淆して、判別できない世界。Psychoticとも呼べる状態から、戻ってきた。穴蔵に。「物語」の世界に入り込んで、戻ってきたのです。

かつて福永武彦さんはわが国の「私小説」を批判し、日本にはrecit「物語」がないと言い、自ら物語として『廃市』を書きました。つまり原初わが国も『源氏物語』に代表される「物語」を持っていたのですが、近代日本は「物語」を失っていたと福永さんは訴えたわけです。物語論が取り扱う「物語」とは、フランス語のrecit、もしくは英語のnarrativeの訳語であり、「時間的な展開がある出来事を言葉で語ったもの」ということが定義となるでしょう。

となると語り手はどこにいるかが問題となります。橋本さんは鋭くかつ面白いことを言います。つまり「西洋の言語では、常に状況の外に視点を置いて語ろうとするのに対して、日本語は状況の内部に視点をおきやすい言語である」と。ということは日本語では、物語化されてくると語りは人物と独立した主体であることを止めて、一体化してくる傾向が強いということになるのでしょう。語り始めた人物が主人公になりやすいということなのです。そしてさらにこの物語世界を創造しているのは村上さんなわけですから、作者=語り手=主人公とわれわれ読者は「読み」という形で相互作用を行うことになります。読者参加型が「ニッポンの小説」なわけですから、村上さんの「物語」もまたポスト・モダンのナラトロジーと言えるようです。

村上さんの小説は正に壮大な「物語」です。ですからいま私たちは、もう一度「物語」を持つことができています。『騎士団長殺し』は確実に物語なのですが、しかし果たして小説と言えるかどうかは難しいようにも思えます。そもそも小説って何か、ということが難しい問いなのですが、少しく村上さんの意見に耳を傾けてみましょう。村上さんは『職業としての小説家』(スイッチ・パブリッシング 2015.9.17)の中で、「小説家は多くの場合、自分の意識の中にあるものを「物語」というかたちに置き換えて、それを表現しようとします。」と述べています。さらに、「僕の場合、まず小説のアイデアがぽっと生まれます。そしてそのアイデアから物語が自然に自発的に広がっていきます。」「物語というのはもともと現実のメタファーとして存在するものですし、人々は変動する周囲の現実のシステムに追いつくために、あるいはそこから振り落とされないために、自らの内なる場所に据えるべき新たな物語=新たなメタファー・システムを必要とします。」村上さんは小説を書くことは「物語」を生み出すこととまったく同じことと考えているようです。そして村上さんは河合隼雄さんとの対話に触れて、「我々は何を共有していたか? ひとことで言えば、おそらく物語というコンセプトだったと思います。物語というのはつまり人の魂の奥底にあるものです。」とすら述べています。

さてどうしましょう? 「物語」と「小説」との隘路に嵌まり込んでしまったようです。しかしこの論議はここまでとし、また別の機会に残しておきましょう。いずれにしても今回は「物語」が私たちにものごとの理解をしやすくし、また新しい「物語」の創造が私たちの発見を生み出し、私たちを癒してくれるということが共有されたものと思います。私たちは自分を乗り越えるためいつもいつも新しい「物語」を作り出しているのです。