コラム

  
化粧〜40前後(アラ・フォー)の女性たちへ〜  2014/12/8 記

 2014年11月3日号のAERAは、米倉涼子さんを表紙写真に取り上げ、「40歳は、惑う。」というテーマを特集して

います。そもそも40歳を不惑と呼んだのは孔子であり、論語には「子曰く 吾 十有五にして学に志し 三十にして

立ち 四十にして惑わず 五十にして天命を知る 六十にして耳順い 七十にして心の欲する所に従いて矩を踰え

ず」とあります。また「子曰く 年四十にして悪まるるときは それ終わらんのみ」ともあります。

果たして四十歳は「不惑」なのでしょうか? それに『論語』は孔子の時代のことであり、かつ男性に向けたものだっ

たでしょうから、現代の女性に当て嵌めようとすること自体が無理なのでしょうか?

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AERAに戻りましょう。この特集は何人かのアラ・フォーの美人女性を出演させています。表紙の米倉さんは39歳、

人気テレビドラマ「ドクターX」では「私、失敗しないので」と豪語して、周囲の男性医師たちを手玉に取っています。

ミュージカル「シカゴ」に出演したことは彼女の自信になったようです。確かにあの「でん繰り返り」は圧巻でした。

小渕優子衆議院議員の経産省辞任が取り上げられています。第2次安倍内閣は「女性の活躍」を謳い文句にし

て、5人の女性を入閣させました。特に安倍首相の期待が最も高かったのが美人の小渕優子さんですが、わずか

1か月半での辞任となり、それも「うちわ問題」が浮上した松島みどり法務相とのダブル辞任となったので、国民

にも政権にも大きな衝撃となりました 。しかしこの年末には突如解散総選挙が行われることになり、辞任の話題

も風に舞う落ち葉のように何処ぞやに飛び散ってしまいました。政治は相変わらず目まぐるしいものです。

特集はもう一人女性を、糸井重里さんとの対談というかたちで取り上げています。それは今もっとも輝いている女

性、宮沢りえさんです。41歳の宮沢さんにはもう少し後で登場してもらいましょう。

小渕さんは40歳の子育て中の母親議員で、働く女性に圧倒的な人気を博していました。しかし蓋が開いてみれば、

亡父の時代からの支援スタッフの作り上げた“みこし”に乗っていたに過ぎなかったのかもしれません。

「男女雇用機会均等法」ができて30年になりますが、わが国はほかの先進国に比べて女性の活躍が進んでいませ

ん。女性議員の割合は世界平均が20%を超えているのに、日本は8.1%。会社の管理職も欧米では女性の割合が

30%を超える国が多いのに、日本は僅か10%程度です。こうした男女の格差をなくし、女性が活躍できる社会にし

ていこうと、政府は取り組んでいるようです。しかしこれに立ちはだかっているのが、セクハラであったりマタハラであ

ったりするようです。

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もうすっかり忘れ去られてしまったかのようですが、塩村(あや)()都議員へのセクハラ野次問題が取り沙汰されまし

た。昨今のマスコミ報道はゲリラ豪雨や竜巻よろしくあっという間に過ぎ去っていきます。これは僕の忘れっぽさ

に因るわけではないでしょう。じっくり構えて掘り下げるという報道が少なくなっています。この事件は2014年6月

18日の東京都議会本会議でのことです。

塩村都議:「東京は、都会であるがゆえに周囲との関係が希薄で、女性が妊娠、出産、育児にかかわる悩みを一

      人で抱えてしまうという弊害があります。云々」

鈴木章浩都議:「早く結婚した方がいいんじゃないか」

男性:「自分が産んでから」

男性:「がんばれよ」(議場で笑いが起きる)

  こういった野次を飛ばされて塩村都議は涙ぐむわけですが、この後6月20日に女性に対するセクシャル・ハラスメン

トとして都議長宛に処分要求書が提出されたわけです。

塩村都議は36歳。1978年、広島県福山市で被爆2世として生まれています。高校在学中からグラビアアイドルとな

り、2007年には明石家さんまさんの『恋のから騒ぎ』に1年間出演し、同期のMVPを獲得しています。その後放送作

家として活動を始め、2012年には維新政治塾の塾生となり、2013年にみんなの党の公認候補として都議員に初当

選しています。こういった経歴の持ち主の、独身美人の都議員が、セクシャル・ハラスメントの餌食になったわけで

す。しかしこの一連の出来事をめぐって感じたのは、この手のハラスメントについてはいつも同じなのですが、論議

がハラスメントかどうかということに終始してしまうことです。出来事の何たるかではなく、この類の出来事は既にハ

ラスメントに含まれ、果たして確実にハラスメントかどうかのみが論じられます。この取り扱われ方は法律違反と同じ

であって、法律は既成のものなので違反かどうかのみが問われるのと同じです。法律そのものを問い直すことはな

いわけで、また知らなかったでは済まされもしないわけなのです。ハラスメントはこのように取り扱われていいので

しょうか?  もちろん「ならぬものはならぬのです」と理屈抜きで教えていく姿勢も必要です。

内田樹さんは「私たちは既に始まっているゲームに途中から参加するのだ」と言います。私たちはゲームに後から参

加し、ゲームのルールを教えてもらいながら身に着けていく必要があります。母国語の習得などはまさにこれです。

ましてやルールが新たに加わったり変更されたりしたら、「ならぬものはならぬ」では済まなくなります。私たちはルー

ルの意味や必要性、それに必然性について理解し容認しなくては済まなくなります。そうでなければ上意下達であっ

て、民主主義に生きているとは言えなくなります。

 荻野美穂さんの『女のからだ フェミニズム以後』(岩波新書 2014.3)は、女のからだは女自身のものであるという

主張とそれに至る運動とを取り上げています。1970年代アメリカでの動きとして、「女のからだは男のものでも国家の

ものでも宗教のものでもなく、女自身のものである」という主張を実現するため、スぺキュラムという器具を使い女性

たちが自らの子宮口を診る「自己検診」を始め、OBOS(Our Bodies ,Ourselves)等の女のからだに関する本の出版

を始めたことを取り上げています。

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 これらの流れは中絶問題と障害者の権利の問題、優生保護法、そしてART(生殖補助技術)を巡った問題へと受け

継がれています。いずれにしても資本主義社会のなかで妊娠・出産・育児といったハンデイを負った女性たちを、男

性中心主義にある男たちがどのように受け入れるかという問題なのです。資本主義とテクノロジーはこの女性たち

のハンデイを少なくすることを目指して、女性の「自由」と「解放」を下支えしようとしています。どうやらいかに女性が

女性としての特殊性(男性と違い)を軽減できるかということなのです。しかしこれで本当に良いのでしょうか? 

「ハンデイ」と簡単に言いましたが、実はこれらの「ハンデイ」がハンデイではならなくする動きこそがフェミニズム運動

の真髄ではないでしょうか? そうなっていくことが両性生殖をせざるをえない雌雄の定めではないのか。

ここには男性中心も女性中心もない筈なのですが…。

 随分と回り道をしてしまいました。さてお待たせしました、宮沢りえさんに戻りましょう。                                              

映画『紙の月』関連で、宮沢りえさんがあちこちで取り上げられています。週刊誌、新聞、テレビ等を賑わせていま

す。僕の感動は「伊右衛門のコマーシャル」はさることながら、『海辺のカフカ』でした。透明のアクリルケースに閉

じ込められた青いドレスのりえさん。獲物を狙う黒豹のような格好のりえさん。りえさんが歌いながら、舞台の上を

透明の檻は自ら回転しながら舞台の上を回っていく。場面は替わり、白いスーツにピンヒールの図書館館長のAtacched File

りえさん。どの姿も官能的でした。

そして極めつけは、白いレースのカーテンが風になびき、その隙間から覗く男女のもつれ合う動き   

                                   Sant               Santa Fe 

エデイプス王の悲劇をもじったストーリーは、母親のりえさんと息子の男性が交わる場面を  Santa Fe 

                                                                                                                                                 Santa Fe

カーテン越しにりえさんの肢体が揺れて、私たちは原光景を見ているような錯覚に捉われていきます  Santa Fe

                  Santa Fe

あの『Santa Fe』の18歳の少女が数々の修羅場を体験して、ここまでエロテイックな演技を披露できるようになったこ

との驚き。それは『紙の月』でも同じように、至る所に顔を覗かせます。

銀行員の営業スーツ姿のりえさんが、自転車を走らせる。そして万事休したりえさんが走って逃げるシーンは圧巻で

した。スカートが少しめくれて白い太腿がチラッと覗き、背筋がピンと伸びた状態を不動のままに膝が高く上がって前

へと蹴り出す、胸が上下に揺れる、ああ、いい走り  

             Santa Fe 肢 白

                        Santa Fe 指  手  腿  

   Atacched File     Atacched File                                               

 

                              顔 足 Santa 唇  Fe  太腿 Santa  爪  Fe 

りえさんの色香が館内に充満し、思わず固唾を呑んでしまいました。演劇や映画を見にきてセクシーさを感じてしま

うなんて、これってセクハラ?

AERA の中で、りえさんは「試練というご褒美」と呼ぶことに触れて、こんなことを言っています。「実際、10代や20

代で経験したネガテイブな事柄が、今の自分にはエッセンスとして残っています。試練はいつかのためのご褒美だと

考えると、逃げずに受け止められる。」と。「りえママ」に動かされ続けてきた若かりし頃、そしてセクシャル・ハラスメ

ントと呼んでもいいような数々のマスコミや男性からの扱い。そのりえさんは野田秀樹さんの主催する演劇にのめ

りこむことで見事にカムバックしました。もう怖いもの知らずの存在に成長したりえさんは、不惑といっていいので

しょう。今年「りえママ」を亡くし、まさに独り立ちしたわけですから、「而立」と「不惑」とが一緒にきたようなものです。

 女性にも「不惑」はあるのでしょう。しかし「不惑」が40歳というのは、「古希」が70歳であることからも人生50年、

60年の時代のことであって、人生80年となった現代においてはもっと遅くに、つまり50歳くらいのことではないでしょ

うか。ただし何歳でといったこと以上に、何をどのように体験し、それとどのように取り組んできたかかが大切な

要因となるでしょう。

ハラスメントひとつとりあげても、それがハラスメントだと訴えることで終わりではなく、それをどのように体験しどう克

服していくかが大切なのでしょう。私たちは、疾うに私たちの過去を消し去ることはできない宿命にあるのですから。

女性にはここに力強い味方があって、それが化粧なのです。米倉さん、小渕さん、塩村さんも宮沢さんも化粧上手

です。40歳という年齢は、そもそも子育てが一段落し、他人のためではなく自分のための人生を見始めるときです。

しかし若い頃の美貌は衰え始め(生物学的にはもう用は済んだのですから)、男性に対してもそれなりに幻滅を味わ

ってきていて、傷の一つ二つは受けています。ここに、若さを回復し過去の傷つきを隠してくれる化粧が意味を持ち

始めます。しかし化粧をしても別人になれる訳ではありません。ドクターXをよもや宮沢さんが演じるとなったら不似

合でしょう。米倉さんは男性中心社会のなかで、男性に引けをとらない女性を象徴しています。一方の宮沢さんは、

社会の中の女性を演じることに秀でています。化粧は確かに隠すものではありますが、それ以上に自分らしさを引

き立てるものなのでしょう。パーテイーにもスーパーマーケットの買い物にも同じ化粧をして出掛ける女性がいます。

ちょっとちょっと、それは違うでしょう。私たちはその場に合わせて、その場で私が引き立つように化粧をするのです

から、いつもいつも同じ化粧というのはいただけません。TPOを弁えながら違った化粧をし、それでいて私は私。

化粧作法には年季が要ります。だから40歳、もう惑いはないのです。

 ジョン・スノーが1853年4月に施したヴィクトリア女王の無痛分娩を、ランセットの編集子が批判したのは有名な話で

す。いつの世も上つ方のなされることを臣民が倣うようです。わが国でも天皇の前立腺がんがPSP検査で見つかり、

それを機にPSP検査の診療報酬審査基準が緩められました。しかし現代では視聴率、観客動員数、支持率、アクセ

ス数といった、人をいかに集められるかとうことが正しさ・新しさの判断基準になっているようです。よって人気のある

タレントやスポーツ選手の私生活はいつも民衆の注目の的となっています。いまや上つ方ではなく、「有名人」が私

たち民衆のopinion  leaderなのかもしれません。民主主義が民意を汲めなくなって久しく時が経ちます。宇野重規

さんは『民主主義の作り方』(筑摩選書 2013)で「一人ひとりの個人の信念は、やがて習慣というかたちで定着す

る。そのような習慣は、社会的なコミュニケーションを介して、他の人々へと伝播する。人は他者の習慣を、意識的

・無意識的に模倣することで、結果として、その信念を共有するのである」と言います。

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そう、私たちが民主主義の世を生き続けたいのなら、人気を集める人々の行動や習慣、そしてファッションに着目し、

模倣し、そして期待するのです。おそらく人気を集める人たちは、上手に時代を着こなしそして化粧し、私たちの進

むべき方向性を映し出してくれるでしょうから。とくにアラ・フォーの女性たちが、自分らしい化粧を披露してくれて、

私たちを誘惑してくれることを楽しみにしています。

 

                                   2014.12.12      渡辺メンタルクリニック 渡辺智英夫