コラム

  

明と暗   〜あさが来た毎朝毎度TVつけ日本女子の黎明をみつ〜  2016/3/6 記

      NHKの朝の連続テレビ小説、いわゆる「朝ドラ」の現在放映中の『あさが来た』は大人気を博しているようです。視聴率は22%越えとか、僕も毎朝仕事に出かける前の一時、欠かさず見ています。京都の(三井財閥を築き上げた)三井家に生まれ、大阪の両替商である加野屋に15歳で嫁いで、女だてらに傾きかけた家業を盛り返す。九州の炭坑事業に乗り出し、日本で初めての女子大学の設立に関わった実在の広岡浅子の一生をドラマ化したものです。古川智映子さんが広岡浅子を主人公にした『小説 土佐堀川』を執筆し、その古川さんの小説を原案に大森美香さんが脚本を書いて、ドラマ化したものです。女優の波瑠さんが主人公の白岡あさ(テレビでは広岡浅子は白岡あさになっています。実家の三井家は今井家に置き換わっています)を演じます。あさの夫新次郎の役は玉木宏さんです。姉春はこれまた大阪で一、二の両替商天王寺屋(山王寺屋 同)に嫁ぎます(ドラマでは結婚して眉山はつとなります)。実際の姉春は、187225歳の若さで亡くなっているようですが、ドラマの中では姉はつは生かされています。はつを演じるのが、宮崎あおいさんです。以下は実在の広岡浅子ではなく、ドラマ化された白岡あさについて取り上げてみましょう。よって登場人物の名前もドラマの上のものとなります。

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 あさが生まれたのは1849年です。1865年(慶応元年)に15歳で新次郎のもとに嫁ぎます。夫の新次郎は茶の湯や謡曲に没頭し、三味線のお師匠様のところに入り浸ります。時は明維維新を迎え、幕府は倒れます。幕府相手に両替商を営んでいた加野屋もほかの両替商と同じく経営の危機に陥ります。ここで夫新次郎の代わりに奮闘したのがあさで、あさが経営をその知恵と行動力によって立て直していきます。

3歳年上の姉はつもまた大阪の1,2を競う両替商、山王寺屋に嫁いでいます。しかし山王寺屋は明治維新の混乱で廃業に追い込まれ、夜逃げをします。結局農家に身を寄せて、農業に勤しんで一家は生計を立てることになります。そもそも姉はつの方が先に白岡新次郎との結婚話があったのですが、新次郎はあさの方を気に入りあさを許嫁としています。

姉妹二人の結婚はそれでも当初は恵まれた幸せなものだったようです。明治維新(これままさにクーデターであり、革命です)の激動が二人を「明と暗」に引き裂きます。この二人を明と暗とに引き裂いた要因はどこにあるのでしょうか? 確かに激動の時になると明と暗の差は大きくなります。危機的状況において適応力の差がより大きく生じやすいのと同じ理屈です。限界状態でこそレジリエンスの差が歴然とします。ストレス対処力の違いは、困難な状況であるほど、ストレス刺激が大きい時ほど、はっきりとします。ストレス状況下にあってうまく対処力を発揮できてストレス状況を乗り越えられたなら、「明」となるでしょう。逆にストレス対処ができないなら、結果は「暗」ということになるでしょう。ストレス状況がそれほど強くなければ、対処力の違いは目立ちませんから、「明」と「暗」との違いははっきりしなくて済むでしょう。明暗が目立つのは、厳しい状況下であって、ストレスフルな環境においてです。この点からするなら、格差社会と言われる現代は決して良い時代ではないかもしれません。社会が、時代が平穏で安定しているなら左程の格差(「明と暗」)は生じないのかもしれません。「明と暗」とが歴然とすればするほど、取り巻く環境は危機的な限界状況にあるといってもいいでしょう。さらにそのとき個人の力がより問われることになって、「明と暗」とに分かれます。

こう書くと「明と暗」とを決定するのは個人の力によっていると取られてしまうかもしれませんが、けっしてそう主張するつもりはありません。デイヴィッド・M・ラウブの『大絶滅―遺伝子が悪いのか運が悪いのか?』については以前にも引用しましたが、ラウブはダーウィンの進化論に反証を掲げています。つまり、ダーウィン流の自然淘汰によって生物は適応していくのではなく、生き物が生き残るかどうかは「運」によっているのだ、と。生命の歴史において進化や絶滅に関しては、生物の適応度ではなく理不尽な絶滅が最も支配的な役割を果たしているということなのです。よって「明と暗」に言及するなら、やはり偶然とか「運」といった要素をも盛り込んでおく必要があり、こっちの方が決定因になっているのかもしれません。しかしそれだと話はここで終わってしまいます。

「運が良かったんですね」「いやいや運が悪かったんですよ」といったさだまさしさんの『無縁坂』風のやり取りになってしまいます。それはそうでしょうが、「個」の持つ力も大事です。

フランスの社会学者ピエール・ブルデューは、人間の社会的な位置づけを決定するものとして ①経済資本 ②社会関係資本 ③文化資本の三つを掲げています。これら三つは個人の「運」を左右する大事な要素です。

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 ここで唐突に思えるかもしれませんが、谷崎潤一郎の『細雪』を取り上げてみましょう。『細雪』は太平洋戦争が始まる前の大阪を舞台にした、旧家の没落する様とその退潮を生き抜く四姉妹の運命を見事に描きあげています。『陰翳礼賛』を著し、源氏物語の口語訳を成し遂げた谷崎にとっては正に掌中の世界です。蒔岡家四姉妹の運命を、次女幸子を中心に据えて描きます。

主人公は三女雪子(雪姉(きあん)ちゃん)です。物語のストーリーとしては雪子をどのように嫁がせるかという何の変哲もないものです。長女鶴子はサラリーマン家庭のありふれた母親としての生活を送っていますが、次女幸子は恵まれた結婚生活を送り、二人の妹を抱えています。いわば未婚の三女雪子と四女妙子(こいさん)の物語ではあります。面白いこと鶴子は没落した姿を、幸子は以前と同じ繁栄をかろうじて残しています。そして雪子は正に壊れゆく儚さと美しさとを表しています。四女妙子が唯一没落に抗っているのかもしれません。こいさんは汚れつつ新しい社会に対して必死に生きる力を発揮しているようです。新しい世界を前にしての、それぞれのあり方を四姉妹は象徴的に具現しています。そしてこの四姉妹の「明と暗」は何に因るのかと考えさせられます。谷崎の世界からは「運」という側面はあまり伝わって来ず、生き抜く力の差のようなものが見えてきます。

再び『あさが来た』に戻るなら、あさとはつとの明暗はこの生き抜く力の差に因っているのかもしれません。そもそも25歳で亡くなった春をはつとして生かしたこのドラマは、姉妹の明暗の差を描くための仕掛けだったのかもしれません。あさもはつも同じ恵まれた環境で育っています。しかし結婚してから差ができたのは、加野屋と山王寺屋の運の違いもあるでしょうが、あさが借金取り立てのために大名屋敷に一人乗り込んだことや、ピストルを携えて炭坑事業に参入したといった、行動力の違いに因るのかもしれません。この行動力は『細雪』の妙子にも通じるものがあります。変革の時を切り開くのは男でも女でもなく、あさや妙子が備えていた行動力に因っているのかもしれません。つまりは「運」を呼び寄せるのは「生き抜く力」と言ってもいいのでしょう。

 セレンディピティSerendipityという言葉はThomas Walpoleが初めて使いました。ペルシャの童話『セレンディップの三人の王子』は、登場する三人の王子が偶然と洞察力を元に、旅の途中で求めるものを発見することができたという内容です。ここからWalpoleは成功を引き寄せるものという意味でこの語を使い始めたわけです。その後セレンディピティを引き起こす「九つの行動原則」とか言われるようになり、この語は世界中に浸透していきます。「九つの行動原則」には  ①とにかく顔を出す  ②適切な場所に身を置く  ③「だけど…」ではなく「それで…」」と言う  ④自分のアイデアを隠し過ぎない  と言ったたような項目が含まれています。「運」を引き寄せる秘訣として、この発想は大変面白く、どれもなるほどと思わせてくれ参考になります。

こういった視点で周りを見回してみると似たようなものがあるではないですか。自己評価シートSelf-rating sheetと呼ばれるもので、自分はどの項目にどの位力があるのかといったものです。項目を挙げると、  ①運  ②協調性  ③独創性・ひらめき  ④分析力・洞察力  ⑤集中力  ⑥体力  ⑦持続力・忍耐力  ⑧行動力  ⑨決断力  ⑩語学力  の十項目となります。確かにこれらの項目に点数を付けて分析していくと、私たちの将来は予測できるかもしれません。コンピューターを使っての統計学は爆発的に進歩しています。コンピューター占いは相当な精度で私たちの人生を予測していくかの勢いです。遺伝子が私たちの人生を決めるのと同じように、コンピューターが私たちの今後を予測してしまうようです。しかしそれでは味も素っ気もなく、『あさが来た』や『細雪』を手に汗握りながら、「次はどうなる?」とか「なんでこうなの?」と、ドキドキすることもなくなってしまうのでしょうか? これは困りものですね。予測不能性は残しておいて欲しいものです。

 PS;「明と暗」とを、特にあさとはつとの違いを、事業が成功したかどうかという観点に傾いて描き過ぎたかもしれません。もちろん「明と暗」に経済的な側面は含まれるでしょうが、それだけでは測られないものと思っております。

                                   (東日本大震災から5年となろうとしている日に)