コラム

  

排除−精神医療−癒し、そして小説三篇(三題噺)  2016/9/19 記

  9月8日(木)午前、リオ パラリンピックの開会式の模様をNHKが放映しています。一方で外は雨が間欠的に激しくなったり止んだりを繰り返しています。オリンピックと台風が吹き荒れたこの8月、9月でした。そしていま締めくくりとしてパラ リンピックが始まりました。

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「障害−ステイグマ−排除」といったことについて少し取り上げてみましょう。

 

今期の芥川賞受賞作『コンビニ人間』には、いくつもいくつもアフォリズムのように瞠目する言葉が溢れています。「正常な世界はとても強引だから、異物は静かに削除される。まっとうでない人間は処理されていく」「つまり、皆の中にある『普通の人間』という架空の生き物を演じるんです。あのコンビニエンスストアで、全員が『店員』という架空の生き物を演じているのと同じですよ」。

主人公は発達障害を持っているようです。小さいころから特異的なエピソードがありました。公園で死んでいた小鳥を見つけ、「お父さん、焼き鳥好きだから、今日、これを焼いて食べよう」と言ったり、喧嘩仲裁にスコップを手にして殴ってしまった、とか目的達成のために文脈を無視した手段を取ってしまうということが目立っていました。その彼女が大学生のアルバイトにコンビニで働き始めてから、ずっと36歳のいままでコンビニ一筋働き続けています。「完璧なマニュアルがあって、「店員」になることはできても、マニュアルの外ではどうすれば普通の人間になれるのか、やはりさっぱりわからないまま」なので、主人公はコンビニ留まらざるを得なかったのです。小説は、そのコンビニ内で生じる人間模様を赤裸々に綴っていきます。

一人のトップの人間の下には20人の働き手がいるというマック・ジョブの世界なのです。その世界に適応することで、主人公はやっと普通の人間になっていく訳です。

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「コンビニは強制的に正常化される場所だから、あなたなんてすぐに修復されてしまいますよ。」 「こうして伝染し合いながら、私たちは人間であることを保ち続けているのだと思う。」 「ああ、私は今、上手に「人間」ができているんだ、と安堵する。」

「同い年の「普通の三十代女性」と交流する貴重な機会」

その主人公がコンビニにも勤まらない白羽さんに、お情け(?)で、いやいいように言いくるめられて結婚することになり、18年間務めたコンビニを辞めることになります。一度はコンビニから出立するのですが、「コンビニ店員」であることに目覚め、「コンビニ店員」として生きていく覚悟を固め、再びコンビニに戻ろうとします。

この筋の進め方は循環論法的であり、私たちは無限地獄に陥ることになります。もうこの世界から抜け出すことはできないという宿命は、カフカの世界を彷彿とさせ、かつシジュポスの神話にも通じます。もちろんコンビニは私たちのこの現実世界の縮図であり、私たちはかくして振り出しに戻ることしかできないのです。

 

今年7月26日未明、おぞましい事件は起きました。相模原殺傷事件です。相模原の「津久井やまゆり園」で19人の障害者の方々が犠牲になり、27人が負傷した事件です。

犯人植松聖(26歳)は大麻による精神病状態で今年2月19日に措置入院となっていましたが、主治医をうまくごまかして3月2日に退院となっています。植松にはヒトラーの思想が降りてきていたようです。ナチスドイツは重い障害のある人を価値なき生命とみなし、安楽死させようとするT4作戦を遂行しました。ガス室や薬物などで殺戮された犠牲者は20万人以上ともいいます。T4作戦には「遺伝病子孫予防法」が先だってあり、この予防法によって40万人が断種させられています。この考えが植松に憑依し(こう書いていますが、憑依ではなく、偏執狂的な思想が内側から生じていた可能性は高いです)、事件を起こさせた訳です。この事件は私たちにいろいろな問題を投げかけています。措置入院のあり方について、特に退院後をどのように監察するのか、できるのか? そもそも措置診察に携わった二人のうちの一人は、不正に指定医資格を取得していたようです。指定医制度のあり方も問われます。優生保護法は廃案になり、母体保護法に改正になったのですが、未だに私たちに根強く残る「優生思想」の問題。2006年に障害者自立支援法が施行され、地域生活支援がうたわれ「施設から地域へ」という流れは確実なものになっています。今年4月には「障害者差別解消法」が施行されていますが、一方で出生前診断の技術が発展し(?)、益々高度化している現状。障害−障害者をめぐる私たちの理解と偏見との隙間を縫って、精神医療と社会の矛盾を暴くかのごとくにこの事件は起きたように思えます。

 

 中村文則さんは2005年『土の中の子供』で芥川賞を受賞して以来、着実に小説を発表し続けています。悪や暴力、狂信といった心奥深い側面を描き続け、諸外国でも人気を博しています。日本のドストエフスキーと呼ばれたりもします。自らこういった内容の小説を書くことが小説家の使命とも言っていました。『掏摸 スリ』(2010)は文献考察を駆使しながら書き上げたもののようで、その手法は成功していました。そしてこの『私の消滅』(文藝春秋 2016.6)はこの手法を用いながら、精神科医に挑戦という内容です。しかし先にも掲げましたが、まがいものの精神科医が主人公です。

ついこの間麻生太郎元首相が「ポケモンGOは引きこもりの人を外に出すので、精神科医よりも優れている」みたいなことを言っていましたが、なるほど確かにそうかもしれません。しかし一方で精神科医をそのようなものとしかみていないというのは、これが社会一般の通念かもしれないですが、非常に残念です。この意味で言うなら、この中村さんの小説も文献考察を尽くしたとはいえ、精神科医に対する誤解を生みだしてしまうかもしれない、と思うのです。精神科医ってそんな力を持っていないって。フィクションなんだからガタガタ言うな、というのは分かります。でもそこまで精神科医は酷くないよ、と端くれですが精神科医として言いたいわけです。小説ではないので単純な比較はできないですが、最相葉月さんの『セラピスト』(新潮社 2014)は精神科医やセラピストの実際を見事に描き出してくれています。

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このページをめくれば、

あなたはこれまでの人生の全てを失うかもしれない。

 というショッキングな一文で始まります。冒頭の舞台は古びたコッテージ、「僕」がこれからなり替わろうとする小塚亮大という男の手記、そして死体が入っているらしきスーツケース。サスペンス仕立ては整い、この小説が切って落とされます。スリリングな仕掛けが随所に組み込まれていて、先へ先へと読者を連れて行く作者の手腕を感じます。しかし何分登場人物が錯綜としていて、過去と現在とが入り混じり、宮崎勤に関する考察が挟まったり、アミタール インタビューや電気ショック療法が登場としたりして、難解な筋立てです。どうも何を言わんとしているのかが分からない。「僕」はバーンアウトした心療内科の医師で、その「僕」のもとを「ゆかり」という傷ついた女性が訪れる。「ゆかり」にやったことのない精神分析療法を始めることになる。暴きだされる「ゆかり」の過去のあれこれ。吉見という前主治医の老精神科医、そして「ゆかり」の加害者でいまもまた傷つけようとしている間宮と木田、「ゆかり」を守ろうとする和久井。「僕」小塚は、復讐のために木田では失敗したが、催眠を使用して間宮を小塚という人間に仕立て上げようとしている。

人は記憶を変えることで別人になるのだろうか? 私たちはこんなにも脆くも自分を失い、恐怖に戦き、人を傷つけ、人を損ない、そして殺し自らも死んでいくものなのか? それはそうなのでしょうが、どうにも牽強付会過ぎではないか?

 

もうひとつ、第59回群像新人賞受賞の実崔(チェシル)『ジニのパズル』(講談社 2016.7)を取り上げてみましょう。

この小説には『私の消滅』にはなかったものが、書かれています。

「学校――あるいはこの世界からたらい回しにされた」ジニは、東京、ハワイ州、そしてオレゴン州へと巡り来て、ホームステイ先のおばさん、ステファニーと出会う。ステファニーは有名な絵本作家で、家の中にはあらゆる場所に中途半端に丸まった紙が転がっていた。ジニが最初に拾った紙には『空が落ちてくる。何処に逃げる?』と書かれていた。

                     

ジニは6年間日本名で日本の小学校に通っていた。朝鮮学校については、チマ・チョゴリを着て登校し、校内では日本語ではなく朝鮮語で話すという程度には知っていた。中学1年生の入学式、体育館正面には金日成と金正日の誇らしげに微笑んでいる巨大な肖像画があった。ジニは日本学校から来たことと、朝鮮語ができないことで皆から虐められたり、排除されたりします。テポドンの発射報道のあった日は、学校側はチマ・チョゴリでの登校を止めたが、ジニにだけは伝わっていずいつも通りチマ・チョゴリで登校したが、周りからの冷たい視線と殴られてもおかしくないという緊迫した空気の中にいた。その日以来ジニは、教室にある金日成と金正日の肖像画について考えるようになります。

 「ニナは、肖像画に対して何とも思わないの? 何か感じたことはない?」

 「う〜ん。特にないかな。だって、あれずっとあるし。別に意味なんてないし」

 「意味はないのかな」

 「ないよ」

 「じゃあ、外してもいいんだよね」

 「それは駄目だよ」

 「どうして? 意味がないのに、なんで外しちゃいけないの」

         <中略>

 「革命でも起きない限り、あれはあそこに在り続けるの、分かった?」

 

 ジニは『最初で最後の革命』を決行します。「北朝鮮は――」「金政権のものではない。私たちは、人殺しの生徒ではない。肖像画は、ただちに排除する。北朝鮮の国旗を奪還せよ!」そう宣言し、ベランダに出たジニは肖像画を二枚とも思い切り外へ放り投げたんです。

その後ジニは精神に異常があるとされて、精神病棟に収容されます。ジニは優等患者を実践し、退院します。そしてオレゴン州にホームステイに行きます。しかしそこの学校を続ける気になれず、ジニは退学して日本に戻ろうかと思います。びしょ濡れで戻ったジニをステフファニーが優しく受け止めてくれます。「ステファニーは私を椅子に座らせると、真っ先に暖炉に火を点けた。そして大きなタオルを持ってくると、私の頭の上に被せた。本当に、お母さんみたいだった。」

「過去を変えることは出来ないわ。だから、受け入れるしかないのよ、ジニ」というステファニーに、ジニは「今まさに、空が落ちてきたみたい」で、空が落ちてきたら、「受け入れる、空を」と答えます。

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 『ジニのパズル』を多くの著名人が激讃しています。その一人高橋源一郎さんは「ジニは『日本語』と『朝鮮語』の間で、北と南の間で、日本とアメリカの間で引き裂かれながら生きる。私たちもまた、なにかに引き裂かれながら生きるしかない」と。

各章ごとに着けられた「見出し」は、それぞれがバラバラのようであり同時に関連しているような印象を与えます。「そこに、いない」「選択肢」「秘密」「テポドン」等々。これらの「見出し」がどのように関連して全体を創り上げていくのか、そしてジニが試行錯誤しながらジニの人生を繋げていくかが題名となった『パズル』の意味なのでしょう。またこれらの「小見出し」の語はもしかしたらステファニーが家にばらまいていた紙片に書かれた一言一言かもしれないと思ったりもします。

この本にはあって『私の消滅』にないもの、それは「救い=癒し」なのでしょうか?

 エリアス・カネッテイは「人間が……視線恐怖から自由になれるのは、群衆のなかにいる瞬間だけである。」と言います。自分を消すということでしょうか? しかし一方で、私たちの歴史は異質なものへと身を開いてきたはずなのですが…。異質なものと「群れ」、集団に適応していくということなのでしょうか。「集団」はさまざまな機能を持っていますが、肯定的なものばかりではありません。「集団主義の閉鎖性」についても触れておかなくてはいけないでしょう。社会的な繋がりがなくなると孤立し、他人への寛大さや、他人と自分とが平等であるという意識を失ってしまいます。集団の中にいて個であるとか、個であっても個ではないというバランスが必要となるようです。

「集団主義の閉鎖性」はステイグマ(烙印・偏見)を生み出します。

ステイグマStigmaは、イエスが磔刑になった際についた傷(聖痕)を意味し、また奴隷や犯罪者の徴、烙印、刻印を意味しています。それが社会的な意味で使われると、「偏見」「差別」「忌避」といった否定的な表徴を帯びることになります。

ステイグマはもともと刺青(タト―)を意味しています。刺青は世界共通で、日本最古の刺青は土偶の文様のようです。ホーソンの『緋文字』は社会的な文脈でのステイグマを見事に描写しています。

いずれにしてもステイグマは、私たちの無知と偏見・差別といった思想・行動を表しています

                 

 そもそもヒトを含めて生物は自己保存本能を備え、生存競争のなかで自らの命を繋いでいきますから、自らに不都合な他なるものを攻撃し、排除することは必定です。しかし知性と理性を備えたヒトは、そこから「大きな跳躍」を試みる運命にあります。

世界保健機関(WHO)は「精神保健の10のFACTS」を挙げています。

1.世界の児童・青年のうち、約20%が精神障害・問題を抱えている

2.精神障害・物質乱用は、世界の障害者の多数を占める

3.世界では、毎年80万人が自殺で亡くなる

4.戦争と災害は、精神保健と精神的健康に大きな影響を与える

5.精神障害は、他の傷病(意図的な外傷、意図しない外傷など)と同じ、大きな疾病上昇リスクファクターである

6.患者や患者家族へのステイグマ・差別は、人々を精神障害の治療から遠ざける

7.多くの国々では、精神障害・社会的行動障害をもつい人々への人権侵害が繰り返し行われている

8.精神保健従事者の人的資源は、世界的に大きな偏りがある

9.精神保健サービスの普及を妨げる障壁は主に5つあり、公衆衛生政策の欠如と財源不足、現状の精神保健サービス団体、プライマリケアとの連携欠如、従事者人材の不足、公衆精神衛生におけるリーダーシップ欠如である

10.サービス向上のために割かれる財源は、現状では相対的に控えめである

 

リオ パラリンピックの閉会式をテレビが放映しています。12日間の競技に幕を下ろしました。それにしてもオリンピックもしかりで、メダル、メダルと騒がれ続けました。スポーツの祭典がスポーツ競技の場となったようです。

「拡張現実」「AI革命」が猛烈な勢いで進展し、まるで強く、優秀で、才能溢れる人間以外の人間は必要ないかのような未来を危惧しつつ不安を感じながら、擱筆します。

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